二百年の時を越え、幕末のツートップがいま再び渋谷でマッチアップ!!
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江戸の「俺たち」が求めた国芳の浮世絵の世界と、江戸の「わたし」が夢見た国貞の浮世絵の世界を追体験する試みで開催。
ボストン美術館はヨーロッパ、アメリカ、アジアなど世界各国の美術品を所蔵する美術館ですが、なかでも日本美術コレクションは、国外では世界一として知られています。
本展は、1876年のボストン美術館開館以来初の大規模な国芳・国貞展になります。これらの作品は一度貸出しされると5年間は公開されなくなるため、本展は大変貴重な機会となります。
幕末の人気浮世絵師、“歌川国芳(1797-1861)”と“歌川国貞(1786-1864)”の兄弟弟子による名品の数々を同一テーマで比較展示することによって、彼らが消費者に対し、いかにして創意工夫を凝らしてきたかを知ることができます。
二人はともに歌川派を繁栄へと導いた初代・歌川豊国を師としたが、兄弟子にあたる国貞が師から受け継いだ役者絵や美人画の伝統から画業を展開していく。
それに対して国芳は勇猛な武者絵や趣向を凝らした戯画によって新機軸を打ち出し、浮世絵師としての地歩を固めた。
国芳ファンは、漢(おとこ)に憧れ、ヒーローたちの活躍する物語の世界にのめり込む江戸っ子ヤンキー層!
一方、「歌川国貞」の作品の中核は、江戸文化のメインストリームである歌舞伎をとりあげたもの。最新のエンターテインメントやファッションを伝える重要なメディアでした。
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◆作品紹介:1幕目
●国芳「国芳もやう正札附現金男 野晒悟助(のざらしごすけ)」
国芳は、躍動感あふれるポーズやスタイリッシュな着こなしの男の姿を、目がチカチカするほど微に入り細をうがち描いた。
●国芳「相馬の古内裏に将門の姫君滝夜叉妖術を以て味方を集むる大宅太郎光国おおやのたろうみつくに妖怪を試さんと爰ここに来り竟ついに是を亡ぼす」
国芳が描く画面から飛び出てくるような「がしゃどくろ」も、正悪入れ替わって絵のなかでは主人公。国貞は、超常現象や霊能力が渦巻く世界で大活躍する空想伝奇の登場人物を、歌舞伎の舞台の仕掛けに移し替え、人気役者に英雄を重ね合わせた。
●国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」
ひとたび荒れ狂う大海原に投げ出されれば、ひとたまりもない。その海を絵にあらわし、人々の目を驚かせ、畏怖の念まで抱かせることが、国芳のテーマであった。
●国貞「見立三十六歌撰之内 在原業平朝臣 清玄」
異や物怪が生みだされる核心は人の心の内面こそある。国貞は役者の人間味が醸し出す怖さを描き出したが、国芳は物語性を強く打ち出した。人の恨みの強さを強調するように、美醜の違いを際立たせて描き、正体があらわれる場面では、うっすらと変化させていくことで未練を感じさせ涙を誘い、屏風の絵から亡霊が蠢きだす瞬間を捉えている。
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●国芳「水瓶砕名誉顕図」
保元・平治の乱や源平合戦といった古典の軍記物は、江戸の人々が大好きな「時代劇」の格好の主題となった。武将の名を少しだけ変えて見せれば、伝説の群雄の物語とわかる。そんな誰もが知る戦陣話は歌舞伎にもとりあげられて、人気小説の挿絵にも描かれた。
◆作品紹介:2幕目
●国貞「八百屋お七」
三角関係は、江戸の人気小説や一般庶民の社会生活を題材にとる歌舞伎の「世話物」にも絶好のテーマとなった。それだけ世間の強い関心ごとでもあったのだ。
国貞は複雑な人の機微を、迫真の演技で克明ににじみ出す人気役者を、細やかにそして華やかに描いていた。
●国貞 「踊形容楽屋之図 踊形容新開入之図(おどりけいようがくやのず おどりけいようにかいいりのず)」
役者たちが夢のような現実離れした物語を舞台で演じて、大活躍するからこそ、日常の素顔を知りたいのがファンの偽らざる心情というもの。楽屋裏や舞台裏をみせれば、飛ぶように売れるのは必定。
国貞はそんなファン心理もお見通しで、江戸や大坂道頓堀の歌舞伎劇場の舞台裏を垣間みせ、役者たちが素顔を見せる楽屋の喧騒の様子をありありと描かれている。
●国芳 「江戸ノ花 木葉渡 早竹虎吉」
超高層ビルの建設が話題となるように、江戸の町に大きな建物がたてば、国芳はすぐさま取り上げ、その上、子どもの大工が玄人仕事をこなすひねりを加える。大評判の興行イベントや出来事は、すぐさまニュースとなって、浮世絵にとり上げられた。
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●国貞「当世三十弐相 よくうれ相」
浮世絵の華は、人気俳優の似顔絵である役者絵と遊女を描いた美人画である。しかし禁令によってまかり成らぬものとされ、町家(素人)の娘たちを題材にしたものが活況となった。国芳は、男に媚びない威勢のよい女性の気風きっぷのよさが画面からみてとれ、艶やかな国貞の女性は、持ち物の小物、装飾品のすべてが可愛らしい。江戸の女性が、彼らの絵をファッション雑誌として活用していたとしてもおかしくない。
●国芳「初雪の戯遊」
土日の休みもない江戸時代、社寺のお祭りや縁日は、人々にとって信心だけでなく、なくてはならないイベントだった。国芳の描く女性は、男たちの目をひいて、その盛り場に足を向けさせ、国貞の絵に登場する女性たちは、まるで祭礼の現場でロケを行ったグラビア雑誌のモデルのようだ。これらの絵をみた江戸の女性たちは、ファッションやグルメの参考としただろう。
●国貞「見立邯鄲」
幕末の吉原で、高級遊女である花魁を揚げて遊ぶのは大店の商人ら富裕層である。庶民にとっては高嶺の花。花魁道中を人混みのなか、垣間見るくらいが関の山だ。有名な遊女は高級店が入銀(出資)で、宣伝目的の浮世絵に描かれることもあった。国貞は、町家の女性たちの仕事に追われる日々の暮らしのなかの艶なまめかしさを見出しながら、高級遊女の姿を、打ち掛けの柄や装飾品に至るまで、緻密にそして色鮮やかに描き出した。
関連情報:美の巨人たち◆歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」江戸の大スペクタクル画5/14放送
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